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夢の中で夢を説く?道元禅師様は夢みるのも覚めているのも、すべては移り変わる世であればもとより違いはなく、あるがままの姿そのものだ≠ニ考えておられるようです。
今、生きているこの世も、そして人生も、すべてが無常であり生滅を繰り返す大きな流れの中の一瞬でしかありません。一夢の如しです。そして、それはそのままに、この世の真実の姿そのものなのでしょう。金剛経というお経に「一切の有為の法は、夢・幻・泡・影の如く、露の如くまた電の如し」とあります。またよく知られた『いろは歌』もそんな無常の様相を詠ったものです。
色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見し酔ひもせず
ここで、ではその無常の世を知ってしまってからどうするか?ありあまるほどの財産があっても、心豊かに健康で長生きできるとは限りません。その日暮らしの貧しい生活の中にも、笑いとあたたかさが満ち溢れた幸せがある。金や名誉はあの世まで連れて行くわけにはいきません。
何をもって豊か≠ニいうのでしょうか、何をもって醒(覚)めている≠ニいうのでしょうか、起きていても眼が覚めていなければ寝ているのと変わらない。人は目の前にあるもっともっとを求める心、煩悩に振り回され、さまざまに迷い苦しみ、不安で心が穏やかになれません。そこで、「醒めよ!」かの沢庵禅師も辞世の一文字を「夢」とされ、「早く目を覚ませよ!」「夢見心地ではなく、しっかりとこの世の真実、己の姿を見極めよ」とお説きなのでしょう。
もっともっとを求める心が目の前にあるなら、これで充分の心(も実は目の前にあるもの、寝ているのか醒めているのかただそれだけの違いなのだと思います。「早起きは三文の徳」?「低血圧だから、夜眠れなくて、朝は弱いんだよね」醒めぬ理由は様々です。私も含めて目覚まし時計も一つや二つでは到底足りそうもありません。また時計屋さんを探しましたが良さそうな物が見つかりません。いまだ購入が叶わない目覚まし時計、無我夢中の夢にお付き合いいただけますか・・・。 |
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正しい教えを学ぼうとする仲間の集いを僧伽(サンガ)≠ニ言います。私の夢中の全てはここにあります。血縁という縁も勿論大切ですが、仏縁という得難きご縁をいただいた仲間が集い、学びを深める。そのようなご縁の輪がどんどん広がってゆけばそこはすでに仏国土でしょう。 |
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