【解説】
 十月五日は達磨様の命日「達磨忌」です。いわずと知れた禅宗の祖師であり、坐禅の祖であります。縁起達磨の姿が赤いのは、赤い色の衣を纏っていたから、また足がないのは面壁九年(めんぺきくねん)≠ニいう言葉が残される通り、壁に向かって九年間坐り続けたお姿にあやかってのものと思われます。
 さて、達磨様と言えばインドから中国に渡った折の逸話に次の様にあります。時の梁の国の武帝が高僧として名前が知れた達磨様を招いて質問を致します。
「私は長い年月を掛けて多くのお寺を建てたり、多くの僧侶に対して援助を惜しみなく続けてきた、果たしてその布施に対する私への功徳は如何なるものであろうか」
それに対して達磨様曰く「無功徳」。「無功徳とはどういうことだ、これだけ仏教に尽くしても私には何の功徳も無いと言うのか」怒る武帝を残して、達磨様はさっさと揚子江を渡り少林寺へと向かったと言います。
 今まで長い間積み重ねてきた行いも、見返りを求めれば布施行にはならない、お寺を建てたり多くの僧侶に対する援助がそのまま自分の心を清める功徳になっていたもの、つまり、武帝は「功徳が何なのか」と口にすることで、その功徳そのものが消えてしまったという事なのでしょう。
 私達は、どんなに努力をしても目的と言うポイントが少しでもずれていれば、正しいとされる目的地とは遥かにずれた場所に行き着いてしまいます。目的そのものを正しい行いに定める事で、すぐ目の前にある目的地に気がつくことが出来るのかもしれません。脚下黄金の地、坐禅と似ているような気がしますが・・・。

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