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| 【解説】 お彼岸七日目、最終日は智慧修行の日とされています。布施・持戒・忍辱・精進・禅定と悟りの完成に向かって進んだ総仕上げの日であります。 布施は、惜しむ心を退け他者に施す行い、持戒は、行いを正しくし、忍辱は怒りやすい心を治める。精進は、怠りの心をなくし、禅定は、散乱する心を静める。 そして智慧とは、私達の欲得を交えた世間で言う知恵のことではなく、御仏より示された以上五つの徳目をはたらきとして生かして行く事、悟りの智慧を言うものです。 ところで、この「悟り」についてのお話にこの様にあります。 ある日の事、お釈迦さまのところに一人の男がやってきて「お悟りとは何か」と質問します。一通りの説明をすると「では、それを知る事であなたの弟子はみんな悟る事ができるのか」と突っ込んできます。当然「悟る者もあれば悟らぬ者もある」とお答えになりますが、男は半ば投げやりに「結局は、本人の能力次第だと言いたいのだろう」とふてくされていると、お釈迦さまは逆に男に問いかけます。「あなたはお城に行く道を知っていますか」、勿論知っているとばかりに、得意げに道順を教えます。するとお釈迦さまは「その道順を知れば間違いなくお城にたどり着けるだろうか」とお尋ねになります。 「教えた通りに注意深く、間違いなく歩けばお城に着けるはずだ」と言う男に「悟りの道と同じだね」と仰ったのです。途中で休んだり、また歩くのをやめれば、着くのが遅くなったり、着けずじまいで終わってしまいます。 「仏の教えによって、悟りの道は確かに示されている。ただ、歩むのは私達自身、途中で道に迷う事があっても、求める心さえ失わなければ悟りの城に誰もがたどり着く事ができる」との教えを言ったものでしょう。 「欲」とは欲求というように人間が本能として求めるものなのでしょうが、それにほださされない、ほだすとは繋ぎとめる、束縛すると辞書にありますから、それだけにがんじがらめにならないと言う事、またそれには、幸福がおとずれても不幸が舞い降りても、おとずれたまま、舞い降りっぱなしとして、現実を悠々と遊ばせる、そんな心が“いかなるところにも著するなし”の心境なのだと思います。 |