【解説】
 先日、東京の檀家さんにご不幸があり、ご葬儀のため出張して参りました。町屋の斎場との事で、宿は最寄の駅である日暮里にとって頂きました。葬儀当日の朝は習慣で早く目が覚めた為、近くの谷中や根津界隈を二時間ばかり散策したのですが、古くからの江戸情緒を楽しみすっかり自己満足の世界に浸ってしまいました。
 また、谷中には上野の寛永寺の門主寺院として有名な天王寺、そしてその昔塔頭寺院であったであろう数多くの寺院が点在しているまさにお寺の坩堝(るつぼ)といった雰囲気です。これは有難い、本堂の外からでも朝のお勤めに参加できるかなと期待しながら今度はお寺めぐりをしておりますと、時間が早かったせいもあってかなかなか鐘の音が聞こえるお寺に出会えません。それどころか門は固く閉ざされお参りさえも出来ない状況です。ここは東京、寂しい思いを抱えながらもしかたなく、谷中墓地の中を歩き始めた帰り道、六時を回った頃だったでしょうか、墓地中ほどにある一軒のお寺から鐘が響き始めました。赴くままにお訪ねすれば、界隈には一ヶ寺だけと言う曹洞宗のお寺さんでした。ほっとすると同時に本当に嬉しい思いが致しました。
 さて、詩にある戒(つつしみ)≠ニは何なのでしょうか、僧侶である前に一人の仏教徒として、破戒の身を重々承知しながらも、日ごと繰り返す誓願や懺悔を怠らない自戒こそが慎みの心ではないでしょうか。それがなければまさに自分の身を、欲望や懈怠という蔓草によって自分が亡ぼす事となるものでしょう。
精進こそ 不死の道と放逸こそは死の道なり やはり同じお釈迦様のお言葉です。

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