【解説】
 偽装問題が後を絶ちません。しかも最近になって次々に明るみに出るのが創業してより百年以上の老舗、誰もがその名を知る名店です。その店舗の佇まいはまさにその名に恥じぬ素晴らしい門構え、当主代々大切に受け継がれた努力の結晶なのでしょう。
 仏教に知足≠ニいう言葉があります。まさに足るを知る。貪らず欲を出さずほどほどの心構え・・・・・・・・とでも言えば判り易いでしょうか、これに対してもっともっとの欲望を、炎天下の喉の渇きに例えて渇愛むさぼり≠ニ言います。俗な例えで恐縮ですが、塀の高さで、住む人のお財布の中身が判るなどと言います。守る物が多くなればなるほど心配が増え、口止めや偽りの念書という自衛手段がより塀の高さを増したものでしょう。
 禅の言葉に「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」とあります。心の満足度をどの物差しをもって計るのか、限りない欲望の満足が幸福という世間の物差しで計る時、お財布の膨らみとは裏腹に心の方はすっかり疲弊してしまうものなのでしょう。
またこの知足≠ニ対になる語句に少欲≠ェあります。お釈迦様のご遺言の中に「多欲の人は利を求むること多きが故に苦悩もまた多し、少欲の人は求め無く欲なければ則ち此の患いなし」とあります。「名刺付き合い」などと言いますが、名前よりも肩書きが一人歩きしたお付き合いには、職が外れた時の寂しさがあります。名誉、名声を求めるが故の多欲の人にもまた苦悩は付きもののようです。
「貧しきがへつらわざるはあれども、富みて奢らざるはなし」仏教説話集『沙石集』にある一節です。欲が少なければへつらう必要も無く、奢る術も無い。名誉欲が多ければへつらう機会も多く、奢りもまた気になって参ります。「実るほどこうべのたれる稲穂かな」。私こと名誉や名声には到底縁が無さそうですが、自然の目線というへつらいなく、奢りのない物差しを大切に考えたいと思います。

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