7月11日(火) −作務に学ぶ−(草に教えられる毎日)
小暑も過ぎたのに今日も曇り時々雨のはっきりしない空、気温も湿度も高いせいか境内の緑はより一層深くなっています。
仙林寺様に入山してからまだ三週間だというのに景色の変化には驚くばかりです。好条件のもと遠慮なく伸びる草々は、今の私にとって真剣勝負の相手のように思えます。放っておく訳にはいきません。また伸び生えてくるとしてもするべき事をしっかりとするのが作務なのでしょう。「あんなに草をひいたのに…」また。と少し勘違いしているところもあるのは修行がまだまだという事なのでしょう。それにしても自然の生命力には驚かされるばかりです。
単なる草引きではあっても人生と言うかこれまでの生き方と少し似ているような気がします。ちょっとでも手を抜けば雨後の筍のように次々と伸びてくる草。どうせまた伸びてくるのだからと放っておくのか?それとも黙々と作務につとめるのか、何かこれからの生き方を問われているようです。
―修行仲間よりひと言―
“花は愛惜(あいじゃく)に散り草は棄嫌(きけん)に生うるのみなり”実感として感じられる今日この頃です。花の美しさを愛でる心、また散る寂しさ、また引いても引いても生える草を憎々しく思う心も、同じ私の心のはたらき、そのように感じるところまではお悟りを得た道元禅師様でも私達でも違いはないのでしょう。問題は感じてしまったその後どうするかにあるのだと思います。
善悪、好悪、生死、何れも対極にあると考えられるこれらの事象を、まずは愛惜、棄嫌と感じるところまでは然り、自己をはこぶ思考によりこれらの元があると考えれば、自己をはこばずしてお任せできる先を想定する事が大切なのでしょう。ひたすらに草引きに打ち込む事で、「〜の為」というこれまでの打算であるとか駆け引きなどのはからいから離れたところに見える境涯が必要なのかもしれません。ただ引くのみ ただ引くのみ。