11月1日(木)
  「時・とき・トキ・toki」
 機械工学技術の進歩と言うか科学技術の進歩と言うかその分野に詳しくないので、うまく言葉では言えないが、一体いつから時計は一秒に秒針が一目盛り動く様になったのか?
(今や)一秒に一目盛り動くのは当たり前だが、最初はゼンマイが戻ればとまり、やがては電池が切れれば止まるまでになり、今やソーラー時計は主流になり、時は止まらなくなった。
 時計は一定の間隔でトキを刻むが、私の時計では、喜びや楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、困難に出会うと一秒が何時間にもなっていた。また緊張した瞬間は、確かに時間は止まった事がある。
 この体内時計と言うか体感時計は、全く、今の時計とは合っていない事にしばしば気づくが、この時計は元々正確ではないから、このままの時間で良いと思っている。
 帰山してから約2ヶ月半、今でも修行中とほぼ同じ早朝4時半起床。暁天坐禅と朝課に臨み・日中諷経(ふぎん・お経め)・晩課を行い、夜坐?一(実際は半分の時間)を行う毎日。勿論、作務も有り、供養等があればお経(つとめ)の準備と場合によっては随喜、そして空いた時間は、お経の習儀(練習)も行う。
 ふと頭の中を去来するのは、私はずっとずっと何年も前からここに居たし、ここで同じ時を過ごしているのではないかと感じる事。この不思議さを解明するために何度も何度も指折り数えてみるが、帰山してからの日時の経過に変わりはないから不思議なことだ、
 お釈迦様は「無常」を示し、時は刻々と流れ、どんなものも常では無いし変化する。だから、昨日のことや明日のことに思いを巡らすより、この【今】生きていることに全力をあげて生きる事の大事さを残した。
 私は今、仏道の出発地点に立っているが、【今】をどう生きているかまったく分からないし、この時計は一体どう動いているのかすら分からない。
 確かなことは、この大きなおおきな自然の恵の中で生かされている事。
 だから私の時計は1秒間に一目盛り動く時計ではなくても良いと思っているし、このまま体感時計の中で授命を大切にしたいとも思う。

 時計は止まらなくなったが、止まる時計がここにはある。