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| 今から697年前鎌倉時代の後半、徳治元年(1306)保原城主伊達次郎為重公の開創、当時は真言宗に属し寺号を「眞林寺」といった。 建武年間南朝の忠臣北畠顕家卿が義良親王を仙台の多賀城より伊達の霊山に奉じ親王の安泰と安治を祈念した 顕家卿はこの頃北軍足利尊氏の家来高師直等と戦い、霊山城、またその周辺寺院もことごとく焼き払われた。当寺もまた顕家卿の兵舎に充てられていた為建武年中(1334〜1338)頃伽藍焼失(当時保原城主中島右衛門宗常)、その後伊達地方は白河城主松平出雲守の官領となる。 慶長十八年(1613)松平出雲守が伊達郡飯坂村(現川俣町)頭陀寺七世嶽雄和尚を請して伽藍を建立、曹洞宗に改宗し寺号も「仙林寺」と改称する。 「大源派を以って宗風大いに高揚し、雲水常に三、四十人常住」と資料にあるのを見ると当時は七堂伽藍が揃う大山だったようである。 その後享保六年(1721)、宝暦四年(1754)、天明三年(1783)、慶応二年(1868)と火災に遭いその都度伽藍は修復されたものの、あくまで仮本堂という形で現住職代に到る。 現在の伽藍は山楼門、庫裡、法雲閣が昭和五十六年、本堂平成3年、方丈(離れ)平成11年、坐禅堂平成13年と何れも新しい建物である。 |