PTSD(心的外傷後ストレス障害)と聞きますと、最近では阪神淡路大震災や、池田小学校児童殺傷事件、が思い浮かびます。大きな自然災害や、大事故、凶悪犯罪等により、被害者が強度のストレスを感じ、それが心的障害として強く残る心の病気の事を言いますが、先般、精神医学の先生からこの障害の話を詳しく聞く機会に恵まれました。それによると、同じ状況下にあっても、PTSD障害の発病、治癒の問題には一つのキーワードがありそうなのです。それが「つながり」ではないかという考察です。先生は、数々の事例を挙げながら(特に自然災害)家族の絆、地域の絆、社会的な絆、それらを強く持っている人ほど、立ち直りが早く、発病しずらいという結果を感覚的に、そして、実際的に感じておられたようで、その重要性を熱く語っておられました。また、関連事項で特に興味深かったのは、西洋の犯罪の凶暴性に触れられ、元々個人主義的な民族であり、個としてのつながりは、神とのそれが最も強い、その為何らかの原因でそのつながりが切れると、全てに対して、歯止めが利かなくなるというのです。
 古来、日本人は、目が覚めれば、お天道様に手を合わせ、仏壇にお供えを怠らず、親兄弟との挨拶を交わす。それらの習慣一つ一つがつまりは、強い絆、「つながり」となって、ゆるぎない強靭な精神力が構築されていたのではないかと思います。武士道などはその最たるものでしょう。
 決して前時代的な思想が最良と言う訳ではありませんが、ここに、私達現代人の精神的なもろさの原因を知る一つのヒントが隠されているような気がしてなりません。また、つながりとしての最大のものは何かと言いますと、物理学者が使う常套句に、サムシンググレートと言う表現がありますが、つまり、目に見えないものへの畏敬と言う事になりましょう。何を非科学的なとお思いの方も居られましょうが、かのアインシュタインでさえも、「神はいるか?」の質問に大自然の様相を指して「これ程の調和が保たれていると言う事は、何か計り知れない偉大な存在なしに実現しているとは思えない」という言葉を残しております。つまり、科学を知れば知るほどその重要性を知らされると言えるのでしょう。少し話が逸れてしまいましたが、個性的に、個の尊重等と叫ばれて久しいですが、それらは、絶対的なつながりという土台があっての事と思いますが、如何でしょうか、
仏教では、その根本的なおしえに「諸法無我」があります。あらゆるものは、それ自体単独では存在し得ない、二千五百年も前にお悟りになっている方が居られます。そろそろ私たちも気付きたいものでありますが…。
03.8.25 正貴記す