平成15年9月22日文部科学省河村大臣による初心会見の中で、「学校教育におけるショクイクを重視」という発言がありました。耳慣れない言葉ではありますが興味を覚え、早速広辞苑を開いてみますと、残念ながらそのような言葉は載っていませんでした。それではということで、ネット検索、何と14万件の関連記事、めぼしい項目を見つけ出すのに一苦労するほどの有名な造語のようです。 さて、漢字で表すと「食育」となるようで、意味としては、食教育、正しい食の知識を身につける。つまりは、ただ食物を口に入れるだけでなく、その材料それぞれの持つ役割を学習する。概ね栄養学的な意味付けが主たる内容のようでした。その栄養学に携わる先生方によると、最近の子供達の食事情は、糖分や脂肪分のとりすぎ傾向にあるということで、それが「キレる」要因の一つにになっているらしいのです。つまり、糖分をとりすぎることで、カルシュウム、マグネシュウム、亜鉛など微量栄養素が、自律神経の働きを司る間脳へ達するのを妨げる。また脂肪は燃焼されにくく、内臓が休むひまがなくなり、体調を崩し、精神面への影響があるとの研究結果があるようです。これらの結果を踏まえた上での発言のようでしたが、事、食事という行為に関しては、「家族団らん」の一文字が出てきたのみで、何とも心許ない感がありました。 以前、永 六輔氏の書かれた記事で、「東京のある小学校の給食時間に招かれ、食事を共にした。驚いたことに、食事の始まりの合図に先生がホイッスルを鳴らした。何ともなげかわしい。」また、9月19日新聞紙上コラム欄に「心を食べる」と題して、同じく東京都内の私立中学を受験する有名公立小学校での給食風景、一年生と六年生の教室を見比べての感想では、「一年生では静かに夢中になって食べることに集中している子供が多いのに対して、六年生では、食事中にトランプをする、立って歩く、漢字ドリルに鉛筆を走らせる子供などがいて、とても給食を一緒に食べ合う雰囲気はなかった」「何が一年生とこの様な違いを生み出してしまったのか、これが六年間の教育の成果なのか」と著者の臨床心理士が驚きをもって述懐されておりました。ここで、禅的提案、栄養学的食育はもちろん重要な項目なのでしょうが、ここに一歩進んだ「行い」を加えて「食事育」であって欲しいのです。例えば、仏教には「五観の偈」という教えがありますので、一つの示唆として以下に記します。
私達人間のいのちは様々な生き物の犠牲により成り立っております。「いただきます」は「いのちいただきます」という意味、また、手を合わせることは、その尊いいのちへの感謝と、懺悔 このあたりで、文部科学省にはひとまずお休みいただいて、同じく国の取り組みの中でも明るい兆しを一つご紹介致します。「いただきますが言えた日」農水省発行、小学生高学年用総合学習教材の中では、典型的な現代っ子卓也が、異次元の空間に迷い込み、様々な体験を通して、物や人とのつながりの大切さ、また、食物を得ることの大変さ、生き物の命の重さなどを学び、その題名にもなっている、心の底から本当の意味で「いただきます」と言えた感動が、よく練り上げられたストーリーを通して体感できる好冊子です。特に、その挿絵の、素直に手をあわせる卓也が描かれているところなどは、大変印象に残ります。私的には、やはり自然にたずさわざるをえない省庁、農水省に軍配といったところでしょうか。また、手前味噌で恐縮ですが、当山寺子屋においては、年に五度ほど子供達との食事会がありますが、とりたてて「食事育」の旗印を掲げずとも、仏教の教え通りの食事作法をとることで、文中、卓也の気付きに見える感動的とも思える光景が日常的となりつつあります。これらの習慣が、心田を耕すということ。種蒔きはこれから、収穫の秋は十年後、二十年後それ以上かもしれません。緩歩 ところで最後に、家庭におけるこれら「食事育」を考えるとき、いわゆる「料理」本来の意味を顧みることをおすすめいたします。
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