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「一年過ぎるのが早いですね」を挨拶言葉とする季節となりました。ところで、このような時間の経過を話題にする年齢と言うのは、線引きがあるのでしょうか、ある本の中では、三十代では過ぎ去る日々が三倍のスピードに感じ、四十代では四倍と十の位の倍数分だけ早く感じる事が書いてありました。また先日、やはり新聞を読んでおりましたら、四十代半ばの女性エッセーストが、同じ疑問に対して、それは早く感じるのではなく、年代による時間の長さが実際違うのだ。とのあまりにも大胆な仮説を冗談めかして立てていたのを興味深く読みました。
ところで、仏教では人のこの世での苦しみを、四苦と称し、それぞれ内訳を生・老・病・死・としております。これらの苦しみを実際に如実に感じるようになる年齢と、年々歳々過ぎ去る日々の速度を感じる年齢とが微妙に一致するように思うのですが如何でしょうか
人は、極度の身体的ストレスを感じる時、脳内にモルヒネにによく似たエンドルフィンという物質を発生させるそうで、それが苦痛を未然に防ぐ、または取り除く自助機能を持っているそうであります。
ホームズのストレス尺度における数値を見ますと、配偶者の死の100を筆頭に、上位五位中三位までが身近な人の死に関係しているようで、つまり加齢するに随って、四苦の現実視度が高くなっていると言えましょう。言わずともがな、老病死に直結しつつある年代になるとともに、モルヒネまでとは言わないまでも、何らかのストレスを本能的に緩和する物質が脳内より出ているのではないか、そしてその物質が苦しみを感じる期間を短くしているのではないかと…
お釈迦様は到底思い通りにならない事を思い通りにしようとするがゆえに苦しみが発生するとお示しです。思い通りにならない原因は無常※1(すべては移り変わる)によります。つまり正しい考え(あるがままに捉える心)を持ち、苦しみの原因を解明することでその苦しみを滅する事ができると教えたのが四聖諦※2という教えです。
道元禅師は、正法眼蔵「生死」の中で、「生死は仏の御いのちなり…いとうことなく、したふことなき…心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ」と示されます。つまり、お釈迦様も、道元禅師も苦しみを解脱する道は苦しみの捉え方そのものにある。来る者は拒まずとやり過ごす。これは坐禅の心の持ち方とも一致します。そして、「仏のいえへなげいれて、仏のかたよりおこなわれて」とお任せするのですね、また誘われるままに素直にその門をくぐれば、そこには「有時」という認識世界が待っております。ここには、過去とか未来と言う認識は既に無く、「而今(」たった今を確認する行いだけが存在するのです。「光陰むなしくわたることなかれ」との具体的説示も見逃せません。およそ日常的な時間認識など瞬時にして飲呑み込まれてしまった感があります。なんとも誘われてみたい魅力的ないざないの門であります。
刹那生滅、刹那生起を認識し、光り輝くこの時を、苦しみも悲しみもすべてをそのままに生き切る行いが、他ならぬ仏のおんいのちなのでしょう。 |
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| ※ 1 |
真理、ほとけ、空 などと表されることもある |
| ※ 2 |
苦諦―苦しみと言う病気、集諦―病気の原因、滅諦―治療すれば完治する事実、道諦―治療方法 |
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| 03.11.3 正貴記す |
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