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いよいよ歳も押し詰まり、今年も残すところあとわずか、大掃除も今が本番と言ったところでしょうか。
思い起こせば二十年前、永平寺での大掃除の様子を思い起こしてみますと、型通りの掃煤以外取り立てて大袈裟な事をした覚えがありません。もちろん与えられた仕事を只行じる。それだけで精一杯だったこともありましょうが…
一度でも御山をお参りされた方はお判りの事と思いますが、山内は一年三百六十五日同じ状態、つまり、何時も変わらず掃き清められ、拭き尽くされた姿を見せております。言えば毎日が大掃除、取り立てて特別を設けず、その日の埃はその日のうちに拭い去る。もっと言えば、汚れているから掃除するのではなく、例えば汚れがなくても日々同じ行いを、只黙々とさせていただく。それが永平寺の掃除の仕方であり、また修行に対する考えでもあります。
仏教では、積もる埃を私たちの心の内に例えます。つまり、日々抱える煩悩(心の塵)を何か特別の方法で取り除こうとするのではなく、今浮かんだ心の波風は今の瞬間にやり過ごしてしまう。これが、「こだわりを引きずらない」というお悟りの考えで、この心境をご修行によって日常的に保ち続ける大切さを説くのが禅の考えであり、その実践が坐禅なのです。禅語に「適凍適水(てきとうてきすい)」という言葉があります。まさに今滴り落ちようとする水滴がその瞬間に凍りつく様を言います。一刹那一刹那を光り輝く今として生き切る姿勢が禅の「すす払い」でしょうか。 |
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