今年は、釈尊が亡くなられて、2490年目になるのだそうです。また、その亡き御跡をお慕いする「涅槃会」も3度訪れる特別の年のようです。
疑問の種明かしをしますと、実は、暦の上と言ってもいわゆる旧暦(太陰太陽暦の一種)で見た場合のお話で、察しの良い方は、このあたりで2度目までの勘定はつくと思いますが、それだけでは何ら特別視することもありません。
実は、今年2004年は閏月※1が2月、つまり2月が2回ある事から、太陽暦と合わせて計3度の「涅槃会」という訳です。
「涅槃」とはインドの古い言葉で「ニルバーナ」、「吹き消す」という意味があります。一つは肉体が消え行く事から「亡くなる」という意味、もう一つは、煩悩の火が吹き消された状態「お悟り」を意味します。
お釈迦様の亡くなられたときの様子を描いた絵図が涅槃図で、2月15日には全国の寺院におまつりされます。お釈迦様が横たわる姿を中心に、多くのお弟子様や、様々な動物までもがその周りで嘆き悲しんでいる様子が表されております。極彩色で描かれた大幅の絵ですから、何度となく目にされ、記憶に留めておられる方も多いと思います。
ところで、現在の葬儀の様子や、用いられる葬具は、この時の様子を色濃く残している部分が多々あります。例えば、北枕は、釈尊涅槃のお姿(頭を北に、右脇を下に、顔を西に)、末期の水は、阿難尊者に水を求められた故事より、四華は、沙羅双樹が時ならぬ花を咲かせ枯れてしまった逸話よりと、はるか2500年も前の様子が現在でもしっかりと伝承され、知らず知らず釈尊とのご縁を頂いている有難さを感じます。
いよいよ、釈尊も臨終のときを迎えます。阿難尊者をはじめ沢山のお弟子様はたいそう悲しまれ、「あと少しでよいから生きていて欲しい」と望みます。「私がこの世を去るからといって、悲しんではならない。何故なら、もし私が一劫(とてつもなく長い時間)生きたとしても、別れのつらさは変わらないし、生あるものは必ず滅する真理に従えば、いつまでもはなれないでいる事はない。」「私が亡くなってから後はそれぞれが私の教えを実践し、次々と伝えてゆくならば、私の教えは不滅であり、教えが不滅と言う事は、仏である私も不滅である。」と…
道元禅師は、明らかに釈尊のお姿、お声を、その吉祥山の大自然に見出されたのでしょう。
道元禅師の教えを頂く私達は、坐禅を通して、釈尊の教えを真っ直ぐに伝えた禅師のおしえに触れる事が、すなわち釈尊を心に抱く事であり、お釈迦様のそして禅師様の教えを慕い、み教えに接したい、お姿を仰ぎたい、との信仰を持ち、尊いご縁を心から望む事で、釈尊は必ずや大自然の様々な様相を借りてそのお姿を、その御声を私達の目の前に現してくれるのでしょう。まずは、素直に大自然に抱かれるこの身を真っ直ぐに感じる事からスタート。何時の日かそれがゴールだと気付く私がいることを望みたいものです。
※1 旧暦は基本的に月の運行を中心とした「太陰太陽暦」で、一年は大の月(30日)が6回、小の月(29日)が6回、合わせて354日、太陽暦との誤差が11日生じることから、19年に7回閏月を設け、誤差を調整します。つまり、その年は、一年が13ヶ月あることになります