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「刹那」という言葉がありますが、その使い方を見ると「刹那主義」「刹那的な生き方」等、ごちらかといえば「今さえ良ければ」的使われ方が一般的なようです。
本来インドの用語の一つで、時間の長さを表します。無量劫数に対しての刹那、一説によると七十五万分の一秒程の時間と言われます。
余談ですが、空間を表すものとしては、三千大千世界から極微までの用語も決められており、古い経典には度々その言葉が見られます。
話を元に戻して、刹那ですが、使い方に違いはあっても、何れも現今問題はその「今」をどう捉えるかにあるようです。つまりは、前者は否定的、後者は肯定と言えましょうが、私たち仏教徒は、後者、積極的に「光り輝く刹那(今)を行き切る」存在でありたいものです。平家物語に有名な「諸行無常」も同じ事、流れ行くこの世を「たった一度の人生だから」を触媒として「だからどう生きるか」の捉え方が問題となるのでしょう。
刹那も無常も禅的肯定、いわゆるプラス思考で前向きに捉えましょう。細胞レベルで考えれば、私達の命も刹那消滅・刹那生起を繰り返し、刹那を生き死にしています。日頃、人生○十年とその命に拘る私達です。一瞬とは言えその命を無駄に出来ない事は言うまでもない事でしょう。
今、今この一瞬を如何に濃密に過ごすかが問われます。 |
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