秋の彼岸の頃になりますと、毎年同じ場所にいつの間にか咲いている彼岸花は、別名曼珠沙華(まんじゅしゃげ)何やら意味ありげなお名前、それもそのはず仏教に縁の深い花で、法華経にも「摩訶曼荼羅華、曼珠沙華」とあり、サンスクリット語で天上に咲く赤い花、「一目見れば悪業を離れられる天の花」とも言われます。
仙林寺の境内にも咲いておりますが、すうっと伸びた茎からは、突然のように真っ赤な花弁が下向きにそして蘂は天を突くように上向きに咲く様子は、艶やかであって、どことなく寂しさを感じます。また、見慣れているせいもあってか、その独特の雰囲気は、山里の墓地やお寺の境内を連想させます。古よりのイメージでしょうか、死人花(しびとばな)、幽霊花、捨子花など、あまり宜しからぬ俗称もあるようです。
 先日、新聞の投書欄を読んでいましたら、花が咲く前の彼岸花をアスパラガスと間違えて摘んでいる人がいて、思わず注意した。という記事が載って居りました。彼岸花は、球根にアルカロイドを含む有毒植物ですので、そのまま口にしたらと思うとぞっとします。
私も小学生の時分、根本から切り取り、その茎を花に向かって二センチ程折っては薄皮だけを残し、また折っては残しという作業を繰り返して、彼岸花のネックレスなど作ったものでした。(少女趣味と笑われそうです)それを見ていた近所のおばちゃんに、「その手を舐めたら死んじゃうからね」と脅かされた覚えがありますが、この毒の事だったのです。何だか毒の話ばかりで、全然仏教的ではありませんが、実はこの花、天蓋花、三昧花という仏の世界を感じさせる名前も冠しております。
まさしくこの大きく広がる花を飾れば、まるで仏菩薩の天蓋そのものの面持ち、三昧とは、一つの事に徹底、精進することですから、私達も三昧になることで、やがてこの花のように美しい天の華となって現れるという意味に捉えられましょうか。また、根に含まれる毒素も、何度も水に晒される事で良質のでんぷんが取れ、飢饉の折は食用にされた事実もあります。
仏教に染汚(ぜんな)という言葉があります。日頃の私達の心、煩悩に汚れ染まった状態を言います。このこだわりの心をうけがう心、「風流」という水に晒し晒して、曼珠沙華の花に例えられる不染汚(ふぜんな)な心を開かせるのには、「三昧」という毒消し?が必要なようです。