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ご供養の功徳を表す言葉に「回向返照」があります。供養の心を亡き人に手向ける行為が、巡り巡って我が身を照らし、自分の心が洗われる有難さを言います。亡き人を思い出し、生前のお姿を思い浮かべる時、自然にその恩徳に感謝する報恩感謝の念が映しだされてくるものでしょう。
ところで同じ映すといっても、脳科学の世界では人から人への感情の伝達を「ミラーシステム」という言葉で説明します。主に脳の前頭葉でこのシステムが働き、人の心の動きを読み取ると同時に感情が伝達されると言います。
日本経済がゼロパーセント成長ぎりぎりの停滞状態、隣のお国が何やら不穏な動きを見せる等々、メディアを通じた様々な情報や、実際の行き交いを通して我々の感情は沈み込んだ気分へと落ち込み、煮詰まった感情は鏡のように互いにコピーし合うようなのです。
ここで、新年早々世間を騒がせた偽札ではありませんが、悪影響としてのコピーがあれば、良い意味での複写を考えない手はありません。
僧侶の集う修行道場を叢林(そうりん)と言います。叢は集まるという意味がありますから木々の集まる所となります。木には大小様々、下草に近いものから欅のような大木まで。生育環境に違いはありません。問題は如何に忠実に祖師の心を映し取れるかにある様です。
今では18年前の3月、「我」の拘りに曇った鏡を携えて、永平寺へ上ったこの身を思う時、くもりを拭い仏の心を映し出す「ミラーシステム」は確かに機能したのでしょう。
今、再構築が必要か否か? |
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