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「桃の炎に燃える丘、実り豊かな保土原を」懐かしの我が母校保原小学校々歌冒頭のフレーズです。
桜が旬を過ぎた頃、保原の地は桃花爛漫とでも言いたくなるような桃源郷と化します。桃は、古来より三千年に一度結ぶ実を食べると不老不死、節分で知られる追儺式(ついなしき)鬼やらいでも桃の木で栫えた弓を用いる、鬼退治は桃太郎等々、邪気を払う霊力を持つと信じられていたようです。
邪気を払う=無邪気としますと桃の花の咲く様は、さしずめ赤ん坊の泣き笑い、素の様相とでも言いましょうか、ありのままの姿に鬼も思わず苦笑い、邪(よこしま)な気も遠のくのでしょう。
禅の世界でも桃は例えとして好んで使われます。
道元様にも「桃花のひらくるは春の風にもよほされ、桃花のおつるは春の風ににくまる」とあります。風は花を散らすばかりでなく、春の風は花を咲かせる縁ともなり、また散らす縁ともなります。その花もまた風の縁により、咲くときは咲き、散るときは散るばかりただそれだけです。これを仏教では「随縁」または「任運」と言います。
鬼を恐れたり、邪気に当てられたり、魔がさしたり、とかく付け入る隙が気になる私達です。「恐れる」のも「差す」のも方向性がそちらに向かっている自分がもよおす。魔を引き寄せているのは誰あろう自分の心という事なのでしょう。百花繚乱の時期、縁に随うのは勿論、大自然のはたらきという運に任せる自分を見つめる大切さを感じる事も、邪気を払う霊力と言えましょうか。 |
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