「昨日より 今日よりも今 桜かな」、桜花爛漫、まさに花が満開の様子を見せようとする今、日々その美しさを増す様を愛でる心をうたったものでしょう。
ですが、実はこの歌、古くより禅門で親しまれていた事を考えますと、禅問答の例え通り、理解の術も一筋縄ではいきません。
今を盛りに咲く桜の花も、四、五日もすれば葉桜となり、秋ともなれば虫に食われた穴だらけの葉を落とすだけといった風情になります。
また歌によりますと、昨日より、今日より今の桜が素晴らしいと読めますから、今を優先すれば、満開の桜でも、枯れ木と見まがう桜の木であっても、その時、今の桜を愛でる心が大切(観桜のポイント)だということでしょう。
樹木でも草花でも、四季それぞれの様があってはじめて その花咲く存在が認められます。つまり、人が美しいと感じる時期だけでその存在があるわけでなく、そのすべての状態を認める事で、それ自体の存在が成り立ちます。またその前提として、梅や桃、松、等々他の木々、他者との関係性がなければ成り立たない事は言うまでもありません。
樹木や草花を「人間」とすれば、私としての有り様が自ずと見えてまいります。
仏教では、この対象をより大きく「この世全体」に想定し、その構成要素を「五大」と明確に示しております。地(地面)・水(水分)・火(熱を表す)・風(気体) そしてそれぞれがそれ一つでは存在し得ない「空」の教えがその頂点として挙げられます。
ところでお墓を建てるときに、先祖代々の墓石と併設して五輪の塔を建てる方が居られますが、その五輪とは、まさしくこの五大、この世の構成要素の象徴として、形に表したものです。
つまり、ご自分の先祖さまの供養にとどまらず、三界万霊すべてを認め、すべてを供養する広く大きな心のあらわれです。仏教が平和の宗教と言われる所以がこの辺りにあります。
美しい桜をより美しいと感じる心を育むのも、供養の機会を、報恩感謝の心に満ちた本来のご供養と見れるのも、すべてをあるがままの様相と認め、状況の良し悪しを超えた「今」を「空」と感じる心にあるようです。