今年の春、いわゆる団塊の世代と言われた人々が定年を迎え、自宅での生活を始められた方が多く居られると聞いております。「企業では専門の技能を持つ技術職の引退で、その穴埋めに一苦労」等と報道されておりました。
ところで、戦後の復興もめざましく、経済大国日本と言われるようになったのもひとえにこの世代の方々の功績が大きく、そういう意味では、労を労う気持ちに偽りはありません。
ここで、心ならずも心配なのは名刺のない生活、それまでは肩書きが親から頂いた名前を超える?役職のお付き合い、これからはそれを引きずれない現実があります。
自己のアイデンティティーの喪失は、何をもって穴埋めをすればいいのか、レジャー産業は様々な企画を提供しますが、刹那的な満足は、外的欲求を充たすことはあっても、本来の自己を満足させるまでには到りません。
気づいてみれば中高齢者の自殺比率は先進国第一位。
葬式仏教を揶揄される身であっても、子供と自死された方の葬儀が特に辛いものがあるのです。
先人は伝えます。「浮華の名利の毒に驕る事なかれ」「名利共に休す」、名とは、肩書きに他なりません。泡沫の如き夢を追いかけてみても、あてのない旅を続けているようなもの、名利の及ばぬ世界を目指して禅門に分け入り、茶人として大成したのが利休、利が休したところの名前として知られます。
禅修行のカリキュラムは、千年単位の経験と教えによって構築されております。だいいち退職金も減らしません。名利なき山門をくぐってみては如何でしょう。