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今年の干支は戌だそうです。犬の字に竹かんむりを載せますと「笑」という字のイメージになります。
その昔、村の子供たちが犬に竹のざるをかぶせいたずらしているのを見た越後の良寛様が、悪ふざけをたしなめながらも大笑いして「笑う」という字にもじったという話があるそうです。ちょっとおふざけの感がありますが、子供達の笑顔や、良寛様の童心に戻った表情が見えてくるような微笑ましいエピソードです。場所は違いますが、今でも埼玉県川越周辺では写真のように愛嬌のある「ざるかぶり犬」として子育てのお守りよろしく親しまれていると言うことです。
さて、仏教で「笑う」の言葉を連想させるものといえば、和やかな面持ちを施す徳を言う「和顔施(わげんせ)」、お財布を忘れてもできる布施の一つとして有名です。ご自分の表情を気にかけていれば、自然、相手の表情の中に繊細な心の動きを見てとる事ができるものでしょう。お医者さまもカウンセラーもおよそ「名〜」と尊敬を集める方々は「顔色を見ればおよその見当はつく」等と仰います。ようは、相手の気を読み取ろうとする心が観察力として現われるものでしょう。そこには心から「何とか苦しみを取り除いてあげたい」という慈悲の心が根底にあるのではないでしょうか。
「正法眼蔵」面授の巻に、「おほよそ仏祖の大道は、唯面授面受、受面授面のみなり。」とあります。つまり、仏の教えをかいつまんで言えば、師は弟子の顔色を見つめつつ接しに接し、弟子もまた、師の顔色から言いたき事をうかがい知る事が出来る。それ以外に教えの真髄は無く、それだけでもう充分だという意味でしょう。
このお話、世間や社会に置き代えてみてはどうでしょう。和顔を施すとは、それぞれに心を注ぎ、神経を行き届かせていれば、自ずとお互いがお互いを尊重できる距離感を保つ事が出来るということではないでしょうか。
御仏様はその距離感を保つコツをお示しです。仏菩薩の表情は、こちら側の心の内に関らず、いつも変わらぬ微笑みをたたえておられます。肝心なのは手を合わせる私達の心の目を、その微笑を曇らせぬように保つことではないでしょうか。
ところで、今年の宮中歌会始の御題も「笑み」、ざるかぶり犬と併せ、何やら期待感交じりのダブルネームに感じるのは、世知辛い世からの脱却を夢見るからなのでしょうか。
禅語に、「梅は早春をひらく」があります。「を」→「に」の間違いでしょう!と言われそうですが、芳しい香りを放ち、美しい姿でその開花を示す梅の花にもよおされて、春の兆しが訪れると考えるのが禅的思考法。
「思い込み」という言葉がありますが、むしろ思い込みこそが結果を生む元となるもの。思いを込めると考えればどうでしょう。また、「環境が人を作る」とは聞き慣れたフレーズ、坐禅が形を大切にするのは、身体を整える事が、水のように流動的な「心」を入れる入れ物の形を作るという意味でもあります。
「戌歳」が笑いの元、寿ぐ歌も「笑み」の風情です。まずは、笑いの環境作りをする事から始めたいものです。笑みの種を心に植え付け、開花を促せば、笑いの風におおいにもよおされて、笑いの絶えない一年になるものと信じたいものです。 |
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