正しいことは
ためらわずに
密やかに
めだたぬように
きわだたぬように
黙って
実行しよう

 宗派を超えた仏教者の集まり「南無の会」での詩の一つです。
 今年の冬はとりわけ雪が多く、朝、目が覚めると雪、雪、雪。朝のおつとめの後には雪かきが待っている。これも修行と無理に気を奮い立たせるのですが、体は正直です。翌々日には筋肉痛や持病の腰の痛みが…。この冬、雪国の湿布薬の消費量はかなりのものだろう等とつい余計な事を考えるおかしな余裕は、永平寺の修行という臨界点を持つ悲しさ?でしょうか。
 その湿布薬が底をつくかと思ったその頃、めだたぬように、静かに雪かきをする音が…。もしや境内のお地蔵さまか?まさに地獄に仏、渡りに船の船頭さんか、有り難い菩薩様が持ち物を錫丈から箒に代えてのご修行でした。
 布施という言葉があります。この中で、お財布を忘れても出来る布施を「無財の七施」と言います。
 眼施―慈しみに満ちた優しい眼差しで人に接する事、和顔施―何時も和やかな顔で接する、言辞(愛語)施―思いやりの言葉を掛ける、心施―喜びも悲しみも共にする心で、牀座施―席でも地位でも惜しまず譲る、房舎施―雨露をしのぐ場所を与える、自分が濡れながらも、傘を差してあげる行為も含まれるでしょう。
 彼の人は、決してお若くはない檀家の方、しかもご自宅から徒歩で三十分も掛けてお寺までお出でだったのです。
 道元禅師様の言葉にも「必ず陰徳を修すべし」「陰徳には冥加顕益が必ずある」とその陰でのご修行を力強く励まして下さいます。
 「見えずとも花を飾りたい、飲まずとも水を供えたい、答えずとも語り掛けたい」という供養の心も、日頃の陰徳の心があって始めて、ためらわずに実行に移す事が出来るのではないでしょうか。
 「お隣三尺」というお掃除の心得を表す言葉があります。向こう三軒両隣という言い回しも今となっては死語扱いなのでしょうか、お掃除をする時には、他人のお宅の前であっても、両隣三尺(約1m)程度まで掃かせていただく心の余裕を持つ大切さを言ったものです。この微妙な三尺の長さが、きわだたぬ微妙な距離感と言えるようです。良好な関係性を保つ いい(良い)加減なのでしょう。
 陰徳を修する事で、その人に生まれながらに備わった「人徳」が表情にさえにじみ出てくると言えそうです。冥加顕益とは、にじみ出る人徳を得る事、またその表情に接した周りの人々を人徳の輪に引き寄せる素晴らしさを言うのではないでしょうか。感染するのは迷惑なインフルエンザだけではないようです。むしろ不要な予防接種は、周りの眼という事になりますか。