「おシャカになる」 物を作り損ねたり、壊れて使い物にならなくなった時に用いる表現かと思いますが、釈尊=涅槃で元に帰すくらいにしか考えが及ばず、実は恥ずかしながらその語源を知らずに今に至っておりました。
 4月8日の読売新聞編集手帳にこの様にあります。細工職人が火を強くしすぎて溶接に失敗し、発した言葉に由来するらしい。「火が強かった」。下町では「ヒ」を「シ」と発音したので「シガツヨカッタ」、4月8日、嘘の様な本当の話、まことしやかな作り話か…。
 さて、4月8日は花まつり、お釈迦様の誕生日をお祝い致します。存命ならば御年2630歳、35歳でお悟りを開かれたことから考えますと、その教えも実に2595年変わらずに伝わっている事を考えますと、そのお言葉を溶接した大伽葉尊者をはじめとするお弟子様達の微妙な火加減に間違いはなかったようです。
 ところで、世に仏教教団を標榜する宗教団体はその数二百とも三百とも、まさに玉石混交、質の良い玉は、火入れすることで宝石としての価値が上がる事もあるようですが、ご都合主義の火加減で溶解を試みた石はやはり路傍の石か、マグマの如くに熱した危険な石で大やけどを負わせた似非(エセ)宗教があったことも忘れる訳にはいきません。
 ここで、いわゆる似て非なる様子を眺めてみますと、他の宗派や宗祖を批判し、すべて自分たちのみが正しいという帰結をものとしているように見受けられます。甚だしくは○○を信じるものだけが救われる。とまるで一神教の教説しかり、仏教の考えとは全く相容れない考えをお持ちの方も珍しくはないようです。
 仏教は慈悲の宗教です。慈悲とは、およそ浅はかな人間の考えを越えた心、ほんのわずかでも憎しみを含まず、自分に背くものにさえあわれみを施すものと認識しております。決して特定の者を想定したのではなく、漏らす事無く普く施すところに仏教的寛容さがあるものと存じます。
 ところで、全く異なった素材を溶接しようとしても、何時の日か接着部分に無理が生じ、遂には剥離してしまう結果は火を見るより明らかか。
 お釈迦さまお誕生の折、天からは甘露の法雨が降り注いだという説話があります。訳隔てなく降り注ぐ象徴が「雨」と考えれば、私たちの頭上にも甘露の雨が降り注いでいる実際に気が付かなければならないのでしょう。細工職人の火加減もまた法雨によってその塩梅(あんばい)を知る事になりそうです。