○○シート、○○テープ、さて○に入るのは何?防水でもなく、一時流行った樹液でもありません。今回は、先月の“普請”に続き建築用語としても使われる“養生”です。
普請に際しては、様々な職人さんの手数を経て仕上がりの時を迎える訳ですが、その何れの職種にも数々の工程があり、工程を踏む前段階の作業として“養生”があります。今ではその言葉の響きに懐かしさを留めるのみの感がある丁稚奉公、修業の段階で初めに教え込まれるのもこの養生作業だそうです。「養生の丁寧さは仕上がりの美しさにつながる」との言葉通り、直接の仕上がりには影響はないにしても、気を抜けない作業です。
さて、養生訓と言えば貝原益軒、こちらは身体の養生指南。曰く「養生の術は、まず我が身をそこなふ物は、内邪と外邪となり」健康法の第一は身体を損なう原因をはぶく事にある。身体の内なる原因は自分自身の欲望、外なる原因は環境によるもの、欲望のおもむくままに生活する事を戒め、環境の変化に常に敏感に対応する事の大切さを説いたものと思います。また「内欲をこらえてすくなし、外邪を畏れて防ぐ、これをもって元気をそこなわず、病なくして天年を永く保つべし」「養生の肝要は畏れること、忍ぶこと」と続きます。“畏”とは自分の欲望に対するもの、また広義として神や仏、いわゆるサムシンググレートへの畏敬とも考えられそうです。そして“忍”、老子曰く「人の命は我にあり、天にあらず」。人の命は天からの贈り物に違いはないのですが、その寿命は私達の日頃の養生次第で変わる。あたかも炭火を風に当てれば早く消えてしまうようなもの、前述通り欲望を忍ずるが肝要。かの白楽天も「福と禍とは慎むと慎まざるにあり」と自戒のすすめとも思える言葉を残しております。
ところでこの白楽天、道林禅師との問答「七仏通戒の偈」の中で、仏教の大事は、善を成すこと悪を成さぬ事。三歳の童子でも知れる事ながら七十の古老でも実践は難い。
ここでまた養生訓に曰く、善悪を成す成さぬは、その信じる基準を持つ事が大切。
仏教における「得度」では、その修行の中心は授戒。授ける“戒”とは、十六ほどある戒律の事。信じる先をみ仏と定め、善を成す方向性を導く教えを戒、戒を基準と言い換えれば、天年を永く保つ術として養生があり、またその先に“戒”を眺めれば、禅僧が長命を保つのも精進料理だけが理由ではなさそうです。
「気は長く勤めは堅く色うすく口食細うして心広かれ」 天海僧正