−平成十八年お盆―施食会にて−
 最近のニュースを見ますと、幼児や児童がらみの痛ましい事件が特に多いように感じられます。秋田で起きた事件、また泉崎村でも三歳の我が子に食事を与えずに衰弱死させるなど、信じられないような親と子をめぐる事件が起きております。親子というご縁を頂きながら、最も信頼すべき親に裏切られた幼いいのちに冥福を祈らずにはおれません。
 さて、ここで、失われた命の追悼に、この命とは何なのかを考えてみたいと思います。
 ところで、感謝の心を表す美しい言葉に「有難う」があります。この言葉、実は古いお経が元になっております。法句経という古いお経の中に「人が命を受けるのは有り難し、やがて死すべきもの、今いのちあるは有り難し」とあります。このように「有難う」の元々の意味は、得がたい命の尊さを言ったものでした。
 この有り難い命を頂いた我々ですが、現在世界の人口は約六十一億人といわれております。また生命が誕生したのは四十億年前ということですので、生命の誕生から現在に至るまで私たちには数え切れないほどのご先祖様が存在しました。両親、祖父母と遡っていくと、十代で二千人、わずか三十五代で六百八十七億人、なんと地球上の人口の十倍のご先祖様が居るわけです。もしたった一代でも欠けてしまえば、今ここにこうして居る事さえできなかったのです。私たちはこの時代にかけがえのない取り替えることのできない命を頂きました。このように考えるとき、受け継がれた命に自然と感謝の心が涌いてくるものと思います。
 お盆とは、まさしくご先祖様とのご縁を見つめなおす大切な機会です。はるかに繋がるご先祖様とのご縁を見つめなおし、今あるこの命を大切に後の世へと繋いでゆきたいものでございます。