−彼岸に因み−坐禅会でのお話から |
お彼岸の本来の意味は、お中日を挟んだ前後三日間を彼岸(お悟りの岸)へ渡る修行期間とするものです。さて、本日二十日、三日目はにんにく忍辱修行の日にあたります。「忍辱(耐え忍ぶこと)」は、六波羅蜜(と呼ばれる修行の実践項目の一つで忍耐とほぼ同じ意味と考えて良さそうです。忍耐と聞くと何となく息苦しさを感じてしまいますが、松原泰道老師の言葉をお借りして「待つことができる心」と訳されればどうでしょうか。
何事にでもスピードが要求される時代なのでしょうか、現代人はとかく待つことが苦手なようです。交差点での赤信号、地下鉄での乗降の様子、短い時間が待ちきれなくていらいらしている人をよく見かけます。
ところで、中国の故事に龍門≠ェあります。今で言う登竜門≠フ元になった言葉ですが、流れの急な龍門という革を渡り切った鯉は、遂には龍と化すという伝説になぞらえたもので、成功へ到るための関門を意味します。
ひな祭りのお節句が過ぎると室礼(は男子の節句へと衣替え致します。男の子が逞しい男子に成長することを願って家の中には武者人形を飾り、外には鯉幟を立てます。鯉は「鯉の滝登り」と言われるように昔から出世魚とされております。逆流という困難に耐え川を遡る様子に例え、将来への期待や逆境に耐える強い心を願ったものでしょう。
ただ、美空ひばりさんの歌では有りませんが、私たちの人生を川の流れに例えれば、雨降り後の川の急流に挑む姿は、さしずめ病気や人との別れなどの逆境に流されまいとする必死な姿と映ります。
画家の星野富弘さんの著書『風の旅』の中にこの様にあります。「怪我をしてまったく動けず、将来のことを思い悩んでいたとき、ふと激流に流されながら元いた岸に泳ぎ着こうともがいている自分の姿を見たような気がした。そして思った。何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか、任せるしかないんじゃないか、そう考えたとき岸に打ち上げられて助かった自分がそこにいた」、流れに棹差せば流される≠フ例えもあります。流れに逆らって元に戻ろうともがくのは過去に戻ろうとすることが徒労に終わる事と同じでしょう。
歌の歌詞にこの様にあります。
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら
苦しい日は、苦しみの意味を考えつつ、楽しい日は楽しみの来し方を思う。いずれ避けられないのであれば、流れに逆らわず、楽しみさえも願わず追いかけない。
晴れれば晴れたように、降れば降ったように。今日が好日。 |
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