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無常という言葉はご存知と思います。「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」で夙に有名ですが、何となく刹那的な響きとして寂しく感じる方がほとんどでしょうか。ただ、梅雨のこの季節大自然の様子に目を移してみますと、降り続く雨の中にこれから訪れる夏の暑さに耐えるだけの力を蓄える自然の営みが見えてまいります。この大いなる生命の営み、命の躍動を目にすると、無常の風は必ずしも苦しく悲しい別れのマイナスイメージのみではない事実を感じます。
禅師様の言葉に「花は愛惜(あいじゃく)に散り草は棄嫌(きけん)に生うるのみなり」とあります。花が咲くときには歓迎の心をこめて愛でる。そして散れば寂しさの中に哀惜の念を込める。一方「雑草と言う名の草はない」と言いながらも、ひいても抜いても生えてくる草には憎々しさを感じるものなのでしょう。美しい花を咲かせる木々も、またその景観には邪魔者としか思えない草々も同じ大自然の命の営みであることに変わりはありません。むしろ私たち人間が持つ愛惜する思い、棄嫌する心こそが「〜であってほしいけど叶わない」という苦しみの原因を生む元である事をお伝えなのでしょう。
晴天の中に草を取り、雨天の中に思索をする。梅雨のこの時期、「雑草との戦い」などと物騒な事を言わずに、庭はただ掃くのみ、草は生えれば抜くのみ、そんな心境に何時かはなりたい。 |
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