先日、子供さんの坐禅の指導をする機会がありました。坐禅も一通り終わり、「何か質問は」との問いかけに次のような質問がありました。「仏様に物をあげても食べてもくれないし、有難うも言ってくれない。一体何のためにあげるのでしょうか」
 私たちは普段の生活の中で「最近如何ですか」と言えば「お陰さまで」と挨拶しております。このおかげさまという言葉は、上のおと下のさまは“お釈迦さま”というのと同じ敬語で、かげというのは見えない存在、陰、つまり御霊など計り知れないご縁を言うものと思います。
 また最近ではあまり見られなくなりましたが、以前は「陰膳」という習慣がありました。家族が旅に出たときに、旅先でひもじい思いをしないように、その人が家に居るときと同じようにお膳を供えました。昔の人は、このように見えない存在のみならず、生きている人に対しても同じ心を供えたものでした。
 ところで観音さまはお釈迦さまとは違いお観音さまとはあまり言いません。敬語が一つ取れた事で私たちにより身近な仏さまとも言えそうです。遠く手の届かないところではなくすぐ近くに居てくださいます。もっと言えば、皆様のお隣に居る方、前に坐っている方が本当はみんな観音さまというのが正解なのだと思います。
 教師と反面教師という言い方をしますが、お寺に居られる木や石でできた観音さまは、教師として理想のお姿を現したものと思います。
 さて、見える仏さまのお話はこれくらいにしまして、先の子供さんの質問に対する答えですが、仏教詩人 相田みつをさんの詩にこのようにあります。

  花をささえる枝
  枝をささえる幹
  幹をささえる根
  根は(     )だなあ。

大事なものは見えたり見えなかったりするんですね、見えないところに注ぐ愛情が見える姿をより美しくしてくれるのかもしれません。