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−涅槃会に因み−
今の季節、手紙の冒頭に使う言葉を「料峭の候」と言うのだそうです。料はなでる、峭は厳しいという意味で、立春を過ぎて季節は春なのですが、春風はまだまだ肌に寒く冷たさを残しながらも、米一粒ほど伸びる、畳の目ほど伸びるなどの形容があるように、長くなった日脚は確実に春の訪れを知らせてくれている、その様子を表わしているのだそうです。
また、「梅は寒苦を経て良き香りを発す」という禅の言葉もあります。厳しい寒さを経験してこそ、薫り高い美しい花を咲かせる。それを人生の在り様に例えたものなのだと思います。仏教では、この耐え忍ぶ事を忍辱という言葉で表わしますが、怒る自分の気持ちを抑え、時には周りからの非難に耐えながら平常心を保つ事は「許す」という寛大な心があってこそと教えられます。
お釈迦様のお話にこのようにあります。お釈迦様は三十五歳でお悟りをひらき、八十歳でこの世を去るまで四十五年間各地を歩きながら布教につとめられますが、ある時パーヴァーという町に至ります。この時、チェンダという鍛冶屋さんから食事の供養を受けましたが、食中毒を起こしそれがもとで亡くなってしまいました。お釈迦様はこの時最後まで食事の供養の施主であったチェンダの謝罪を寛大に許し、周りの者達から責められる事のないようにとの思いやりを最優先し、弟子に次のような言葉を残しています。
「私がこの世を去ることの原因を追及して、チェンダを責める者が出てくるかもしれない、そしてチェンダ自身も供養をしたことへの後悔の念を起こすこともあるだろう」その時に、彼の後悔の念は次のように言って取り除かなくてはならない。『修行を修めたお悟りの人へ最後のご供養を捧げたのだから、お前には大きな功徳と利益があるだろう』と」。
このように言い残し、最後の旅を終え、亡くなられたのが二月の十五日と言われております。お釈迦さまにとっては、自分の命にかかわること、ましてや弟子達にとっては師匠の命にかかわる事であり、とても平常心でとらえる事の困難な出来事です。
ところがお釈迦様は、冷静にチェンダの心からの供養こそを大切に考えられたのです。お釈迦様が身をもって示された耐え忍ぶということ、そして許すという大切な行いを、私達の身に照らして考えたいものです。 |
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