本年のお言葉のテーマは愛語=B「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」。曹洞宗の経典『修証義』の一節です。
慈愛という言葉があります。慈しみを持ち、母が子に対するような見返りを求めぬ心、その心から発するお言葉が愛語なのでありましょう。つまり、感謝や慈しみ、そして優しさにあふれた言葉を用いること、また、適切に人をほめる、じっくり相手の話を聞いてあげるということも愛語の一つでしょう。そして、その慈愛に満ちた言葉が、天地をひっくり返してしまうほどの力があると言います。ただ、ここで注目すべきは、「学すべきなり」の文言、「学す」とは、知識だけの学びではなく、実践することこそが大切だという意味のようです。
 仏教の教えとは、人が亡くなってからのものではなく、生きている私達にこそ必要な教えであり、そして、その教えを生活に生かしてゆくことが救いの道につながる、それこそが仏教が目指すあり方なのです。
 では、私達が生活に生かす教えとは何なのか、教えの基本でもある無常観・因縁果(因果)・四苦をプラス思考で理解し、実践するということです。
花咲き 花落つる 無常の相=@無常の世を生きる術としての聖語でしょう。また、因縁果として咲く花を見れば、種蒔かざれば花は咲かず、蒔いただけでも美しい花とはならない、そこにはお日様の光や水や肥料といった善きご縁がなければならず、つまりはこのご縁の取り扱いが、花の出来の良し悪しという結果へと結びつくものなのでしょう。
 生・老・病・死の四苦の激流にある私達のこのいのちも、誰もがその流れの中にある存在。例外はありません。ただそこに、死ぬるいのちもあれば、生まれるいのちもある。と清濁の流れを丸ごと受け取る心持ちこそが大切なのだと思います。ただ、人間は弱いものですから、いざ自分の身に不幸が降りかかった時、「何ともならないんだよ」という仏様の言葉ではなく、「何とかしてあげるよ」という悪魔のささやきに心が揺れ動く事もあるでしょう。お寺に集うことで、そのような誰もが持つ不安な心や、苦しみ悲しみの思いを持ち寄り、互いに励まし合い、誤った誘惑という波に飲み込まれないようにしたいものです。
 「幸せは 歩いてこない だから 歩いてゆくんだね」苦しい時こそ、歩みを始める好時節ではないでしょうか。
 衣を着て、お袈裟をつけてはいても、三歩進んで二歩どころか四歩も五歩も下がるような歩みです。
「それじゃ進んでないじゃない」との声が聞こえてきそうですが、たまには走り幅跳びのようにジャンプできる時もあるかもしれません。
手足が不自由で、口だけで描く画家、星野富弘さんの言葉に、「辛いという字はもう少しで幸せという字になれそうだ」とあります。この言葉に深くうなずき救われると感じる方は、すでに仏様の心への気付きが訪れているものでしょう。みんなで歩めば心強いですね。