仙林寺副住職 松田正貴
リレーエッセイ「あぶくまの里から」掲載

書画しょが詩歌しか連誹茶れんひ挿花さしばな碁将棋ごしょうぎ雅会みやびのかい
約百五十年前郷土の南画家、熊坂適山一周忌追福のために寺で催された会の名称である。
その昔、寺院の役割は前述「 」からも推察されるように、文化芸術の発信源たる機能があった。また寺子屋等、教育的役割、そればかりでなく、政治・経済・医療の分野と幅広くそのシンクタンク的役割を果たしていた様である。また、そこまではいかないにしろ、戸籍の管理、困り事相談等々、公的役所的機能をも十分担っていたのである。
 閑話休題。
 さて、ここで現在のお寺事情をちょっと覗いてみよう、訪れる方(参拝者)も、迎える方(僧侶等)もお互い知らず知らず結界(ハザード)を作ってしまい、必要最小限の利用に留まってしまってはいないだろうか。贅沢すぎるほど広い境内(コモンスペース)を、寺を預かるわずか数人の者達に独占させておいて良いのだろうか、さしずめ公共機関であればオンブズマン騒動ものである。まことに惜しい!
 ハザードを取り払い山門をくぐるとそこは異空間、街の雑踏から一歩離れてその地に踏み込めばあとはあなたの工夫しだい。そっと耳をすませてみれば1/f環境音楽、森林浴よろしくフィトンチッドの深呼吸を楽しむも良し、手水舎にこんこんと流れる清水の傍らでマイナスイオンの飛沫を浴びるもまた結構、沈香の香りでアジアンティストなアロマテラビー?まさしく空気が詠める空間である。子連れなら身近な理科や社会の学習の場、図画工作の材料がそこここに落ちていたりもする。勿論拾うのは自由だ。(お賽銭の場合は賽銭箱に入れてほしい事は付け加えておくが)運良く?悪く?坊さんに会えれば、普段、親の言いずらい苦言のジャブを一発もらってみるなんてのはどうだろうか、まさしく道徳の時間である。ちょっと親も耳が痛いかもしれないのがたまにきず。
 その他、例えば禅宗の寺だったら坐禅をさせろと殴り込みをかけるなんてのもちょっと洒落ている。
 発想(ソフトウェアー)次第で寺(ハードウェアー)の使い方は無限大。
 経済的、体力的に無理をしてまでディズニーランドに行かなくても(失礼、ディズニーランドも良いのだが)近くで結構遊び倒せる。何よりもお手軽である・・・。
 因みに、阿武隈急行各駅下車、日帰り行動圏内いたるところにその箱達は転がっている。選択肢が多いだけに、あなたの持ち合わせたソフトに合った既存のハードを選ぶ能力(センス)が求められるのも事実ではある。また、ハード側にもソフトの進歩に合わせた向上努力(バージョンアップ)も当然必要になるのであろう。とにもかくにも、銘柄(ブランド)を選択する審美眼の程は、それぞれの基準に任せ、こちらはお待ちうけするとしよう。
 我国での伝統行事を大別する言葉に「ケ」「ハレ」がありますが、最近のお寺と言いますと残念ながらケの部分のみのお付き合いがどうしても目立ちます。理想を言えば、この世での呼び名(俗名)[名付け親]からあの世でのお名前(戒名)[導師]・・・ケ〜ハレ・・までの一連のお付き合いを一つとして捉えたいところであります。
 一昔前までは、この理想がまさに現実であったように思います。
 旅の準備は早くから怠りなくすることで、忘れ物も減り、高い満足感が得られることでしょう。日頃からのお付き合い(準備)あってこそより良い旅立ち(満足感)が迎えら(得ら)れることと思いますが、如何でしょうか。