山本ふみこ著「わたしの葬儀」の一文を紹介します。
「若い頃葬儀に関わる仕事をしてみたいと考えた事がある。してみたいというほどの話だから夢に終わってしまった。子供の頃は死が恐ろしくてならなかった。しかし祖父母に尋ねたり、自分でも考え込んだりするうち、どんなふうに死が忍びよっても死の後は人は等しく肉体を脱ぎ捨てて魂になると信じるようになった。そのことに私は不思議な慰めを感じた。なんといったらいいのだろう、その慰めには憧れも混ざっていて私は怖がりながら死に近いものに興味を持つようになってゆく。−中略―すがらなければ生きられないというほど死の事ばかり考えていたわけではないが、いつしか葬儀に関わる仕事をしてみたいと考えていたというわけ。故人にふさわしく、また遺族が望む葬儀をつくりあげるというのが、私の考えるもっとも創造的な仕事だったのである

 少々引用が長くなりましたが、著者は葬儀に関する仕事を創造的であると捉え、憧れさえ抱いていた事がわかります。ここで、創造的といえば短絡的に葬儀をプロデュースする事と考えがちですが、先の碑文谷 創氏は、葬送の視点1(2002)の中で 次のように述べます。
最近流行りの表現では「葬儀をプロデュースする」がある。
「プロデュース」は「作り出す・製作する」という意味である。全体を考え、物品・人材を整え、一つの形に作り上げる…という意味である。葬儀を一つの作品や芝居に見立て、それを考案し、人・物を手配し、上演・完成するまでの総体の責任を負うというものだろう。
 私の偏見だろうが、この言葉は、葬儀をイベント中心にとらえているようで、この言葉をどうも好きになれない。また、葬式には、無宗教葬を除くならば、宗教儀礼という面も強くある。これでは葬祭業者が宗教儀礼までをも包含して差配する感もあって、悪名高い「葬祭業者主導の葬式」というイメージを強めかねないようにも思う。
一方、株式会社ユービジョン 宇佐美義昭氏は、コラム「プロデューサーに必要なもの」の中で、ご自分を葬儀のプロデューサーと言って憚らない。また、プロデューサーに必要な基本資質を次のように掲げる。
@幅広い発想に立ち、創造力があり、豊かな感受性をもっている。
A好奇心旺盛で、感性の閃きがあり、明確なビジョンが描ける。
Bプランニングカ・説得力・行動力に優れている。
Cエキサイティングなものに対して、素直に即応する感覚をもっている。
D情報とノウハウの蓄積を怠らない。
E豊富な人的ネットワークをもっている。
F設定された方針に従って、与えられた資源をバランスよく活用できる。
 いわく「価値を創造できるものこそ本物なのだ」ということ、葬儀に携わる人間として、「お金をいただく価値のある葬儀」とは何なのか?そのために不可欠なものが「プロデュース力」なのではないか。日頃からそのことを真剣に考え、いざという時に、プロデュース力を発揮したいものだと、葬儀におけるプロデュース力の必要性を強調します。
使用する語彙に多少の差異があることは承知しながらも、碑文谷、宇佐美両氏共に、人の個性が百人百様であれば、やはりそのパーソナリティーに応じた葬儀を提供するという意識の高さを言ったものでしょう。またここに、より高いレベルの故人らしさの創造を目指すのであれば、生前からの意思の確認、つまりエンドレスデザインまたその方法としてのエンディングノートの必要性を感じるものです。
生前に本人の意思を明記し、自分の死後のデザインを自らが考えられるようにできている。