現在、法医学的認識から見ても、人の死というものは生物学的な死と社会的な死に分けて考えられている。私達が携る人の死とは後者を言うものであるから、生物学的な死という現実を踏まえ、社会的な死という実際を設定する事で残された者の混乱を避けるよう導いてあげる必要があると考えられます。 アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームスの言葉「心が変われば運命が変わる」のとおり、心の在り方、もち方がすべての基本です。 「納棺夫日記」という本があります。その著者である青木新門氏は、納棺夫の仕事をとおして、死をタブー視する社会通念の存在を強く感じたようです。生だけに執着するようになり、経済成長や医学の発展がますます死を忌み嫌う存在としていることを痛感します。死に携わる者たちは忌み嫌われて、葬儀や納棺や、火葬や、ときに僧侶までが、自虐的になって金だけに執着する様子を見ます。そして、著者は、死に携わる者たちを白い目で見る社会に疑問を抱きながらも、自分自身がそんな社会通念の中で生きていることに気がつきました。「そう気づいてから、服装もきちんとし、礼儀礼節にも心がけ、自身を持って堂々と真摯な態度で湯濯・納棺をするように努めた。納棺夫に徹したのである。するととたんに周囲の見方が変わってきた」「納棺夫日記」を読み進めると、現実は甘いことばかりではないことも書かれていましたが、澄んだ心で死と向き合うようになる著者のうしろ姿を感じました。また、同著の序文として作家の吉村昭氏は次のように述べます。「人の死に絶えず接している人には、詩心が生まれ、哲学が身に付く」 詩心と哲学は誰にでも期待できるものではないが、今のような時代にも、葬送儀礼の中で礼節と品格を学べるかもしれないという期待はもてるのではないでしょうか、今のような時代とは死が近くにあるようで遠く見えにくくなっている時代の事で、つまり死を思って心を深く掘り下げる事で現代人の救いが見えてくる可能性を感じます。 |