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| 一日から始まった接心(集中坐禅修行)も八日朝をもって無事満散となりました。定例坐禅会と時程を同じくご修行頂く中、正法眼蔵弁道話自受用三昧の提唱(お話)そして、朝のおつとめにてこのお経を音読し、脳のトレーニング?に励んだ会員の皆様、文字通り心を摂(ととのえる)するご修行になりましたでしょうか。 さて、八日の朝は釈尊の成道(おさとり)を称え、成道会(じょうどうえ)となります。三仏忌と言われる仏教の大切な行持の一つです。当会では、ご仏縁に感謝すると共にそのご遺徳を慕い、ミルク粥を頂くのを毎年恒例の行持としております。(苦行によって弱った釈尊の身体を救ったのが村娘から布施されたミルク粥との逸話に由来します) ところでお釈迦様は「一仏成道して天地乾坤(けんこん)を見わたして見ると、竒(き)なる哉(かな)、竒なる哉、一切衆生皆如来の智慧、徳相を具有す」と申されました。このお言葉の中の「竒なる哉」の「竒」という字は「立」という字と「可」という字が組み合わされています。「立」という字の下の横棒と「可」という字の上の横棒が共通しています。ですから「竒」という字は「上立たんと欲せば下可ならず、下可ならんと欲せば上立たず」この横棒一本が「修証一如」を表すと言います。(永平寺宮崎禅師提唱より一部抜粋) さて、この「修証一如」とは、坐禅への成り切りを意味しますから、その心持ちで眺めた成道世界を、お釈迦様は「有情非情同時成道」と申されました。心あるものも心のないものも私が悟ってみると、すべてが仏の智慧、徳相を備えていたと気づかれました。 良寛さまのお歌です。 雪野原に立っている白鷺は、雪も白鷺も同じ色をしているので見分けがつかない、しかし白鷺がいなくなってしまったわけではなく、雪と白鷺が一体となっている。大自然の様相に目を移してみると、雪も大自然、白鷺つまり我が身も大自然、一如な存在という意味でしょう。 また、この歌の本歌と思われる和歌が道元禅師様の和歌集傘松道詠にあります。 礼拝の心を詠ったとあります。相手、対象を敬う心と、自分の我を投げ捨て拘りをなくし相手の中に飛び込む思いが、拝み拝まれる心を生むものでしょう。 生仏一如、仏凡一如、主体と客体が同時に現成するところに成道世界が広がっているようでございます。 |