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| 二十九日が平成十八年度の最終坐禅会、一月五日が十九年度の初顔合わせ。ということで、朝のおつとめの後、恒例の茶話会を催しました。新入会員三人を含む十六名が参加、行く年を惜しみ、それぞれの一年を振り返りました。出会いにより新たに坐禅を始められた方あり、また身体的理由で会を去ることになった方あり、それぞれそのご縁が、悲しい別れであり、嬉しい仏縁であること。まさに悲喜こもごもです。因みにこもごもとは地蔵十輪経の中に「普平等心をもて更(コモゴモ)相利楽し、安楽せしむ」とあるように、すべては普く平等に訪れるものと心得ることで、我が身の不幸を恨む事も無く、また人の幸せを羨む事も無い、そのように考える事が出来れば、こもごもに利益された身を楽しみ、真の安楽の境地に辿り着けるのかもしれません。 ところで、新しい年、十九年度宮中歌会始のお題は「月」だそうです。道元禅師の和歌集『傘松道詠』に、“世の中は 何にたとえん 水鳥の嘴(はし)振る 露に宿る 月影” とのお歌があります。人の命の儚さを何に例えたらよいであろうか、水鳥が嘴を振ったときに飛び散る露に、ほんの一瞬宿る月影のようなもの、との意味でしょうか、「昨日ありしは今日は夢」と言いますが、昨年坐蒲を並べて座っていた仲間が今年はいない。人の生死もまた無常、無常だからこそ「今」の一瞬がより輝きを増すのかもしれません。禅の修行者読本『正法眼蔵随門記』の中に、“学道の人、すべからく寸陰を惜しむべし。露命消えやすし、時光すみやかに移る。暫く存ずる間に余時を管ずる事無く、ただすべからく道を学すべし”とあります。 学道の人とは、仏道修行の人、仏道修行とは禅にあっては坐禅にほかなりません。あっという間に過ぎ去る人生、余時に惑わされ出会い無く過ごす月日では、こもごも相利楽もかないません。 新年は亥年、亥年を司る菩薩様は摩利支天菩薩(まりしてんぼさつ)です。摩利支とは月と日を表す言葉だそうです。行く年と来た年に、月と日、そして別れと出会いを思い、今と言う時を大切に、その積み重ねの集大成としての一年を、今年の計としたいものです。 |