歩く坐禅?「坐禅は坐るだけではなかったの?」頭上は、はてなマークだらけになる方がほとんどでしょうか、十二月の成道会摂心の時も説明しましたが、摂心とは一定期間を坐禅の集中修行として、坐禅三昧の一日をおくる事をいいます。本山などでは、朝から晩まで、食事中であっても坐禅をしたまま頂く、坐禅堂から出るのは東司(お手洗い)に行く時だけという日々を過ごします。ただ、その坐禅も坐りっぱなしというわけではなく、一 (ちゅう)《一回の坐禅の単位を、八寸-約24p-の線香が燃え尽きるほどの長さということでこの様に表す》が終了すると、次の坐禅との間に経行(と呼ばれる歩く坐禅を10分ほど行います。今回、朝二 の坐禅の間にこの経行をはじめて試みました。
なにぶん石倉を改造しての坐禅堂です。十人を超える皆さんが時計回りに中を歩くのですから、窮屈さは如何ともしがたい。次回の摂心持ち越しの反省課題です。
さて、今回の提唱((坐禅中のお話)は、数あるお経の中で最も古いと言われる法句経(を学び、終りには正法(眼蔵(八大(人覚(を皆でお唱えしました。お釈迦様のご遺言にあたるお経を遺教経(と言いますがその中で特に大事な八つの教えを八大人覚と言います。そしてその教えに沿って道元禅師様がやはりご自分の死期を見つめて著したのがこのお経です。日常の生活にあってもその指針となる教えです。会員の皆様にも概ね好評だったようで、懷弉(えじょう)禅師様のお示し「若し先師を恋慕し奉る人は必ず此の巻を書して之れを護持すべし」に従って写経(書写)に取り組む方も居られます。古仏の教えに随うとき“結果(自然(となる”ようでございます。 |

摂心最終日のおつとめ |
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