15日、大立目薬師如来様祭礼です。
「花は七日(なぬか)」の言葉通り、満開の桜の花も昨日の強風で半分ほどは散ってしまったでしょうか。
 道元禅師様の言葉に「花の咲くるるは春の風にもよおされ、花の散るるは春の風ににくまる」とあります。冬の寒さに耐え忍んだ花の蕾を膨らませるのも春の風なら、その花を散らせるのもまた春の風です。
 私たち人間の目と言うものは、待ち望んだ桜の花は歓迎して愛でる、花が散った後の桜の木は、只々消毒が大変なだけの木というふうに、好き嫌い、良し悪し、損得という拘りの目で見るのが常のようです。
 只、桜の花もいつまでも咲いている花であれば、今のよう国民的人気のある花ではなかったでしょうし、また次の花を咲かせる為の木の体力を温存することもできないのかもしれません。
 今日の新聞を見ておりましたら、西暦2100年に生まれた赤ん坊は寿命が200歳を超える、また2007年に57歳以下の人は150歳になる可能性が出てくるというような記事が載っておりました。
 『亀は万年』の小咄、「亀は万年生きると言うが、横丁のキン坊が飼った亀が三日後に死んじまったそうですよ!」「それは、丁度その日が一万年目だったんだよ」
 寿命というのも、はたして長ければ良いのかというところに疑問を感じますし、「老老介護」と言われている時代、果たして誰が介護をしてくれるのか、不安が付きまといます。
 ところで、薬師如来様は、智恵を授ける仏の世界のお医者様です。「花は咲くばかり、そして花は散るばかり」そこに人のはからいを交えないことが仏様の智恵ということでしょう。人の命も自然の一部と考えれば同じことではないでしょうか。
 寿命とは、命を寿ぐと書くようです。また、天寿といえば寿ぐ事もまたお任せという事でしょう。寿げるだけの命を頂戴できればそれで良しとするのも仏様のものさしと言えそうです。