| 22日〜23日に掛けて勉強会に出かけて参りました。会場は天童温泉舞鶴荘、講師は育英短期大学教授で群馬県常仙寺副住職 佐藤達全老師でした。以前からご著書を拝見しておりましたので、内容をより深く学習するのにはまたとない機会でした。 “「典座教訓」「赴粥飯法」に学ぶ人の生き方”と題する講義は、現代の食事情からはじまり、お釈迦様や道元禅師様が“食”そのものをどのように考えておられたか典籍記述に添ってお話して頂きました。 ところで、食といえば平成17年に施行された「食育基本法」にも明らかなように、今や生き物としての基本までも法律によって指示を受けなければ正しい営みが成されない現実があるようです。基本法の第三条には「食育の推進にあたっては、国民の食生活が自然の恩恵の上に成り立っており、また食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについて、感謝の念や理解が深まるよう配慮されなければならない」とあります。食事を単に空腹を癒すためと考えるのではなく、心を養う大切な営みと受け止めている記述であろうと思います。これまでの栄養学における考えは、「健康のために何をどれくらい食べるか」ということに重点が置かれていたということです。それに対して個食や孤食が問題とされる現代、ようやく「どんな経緯でこの食があるのか、どのように食べるのか、誰と食べるのか」といった「食と心」というところに重要性のポイントが移ってきたと考えられそうです。 さて、私たちは食事をいただく前に「いただきます」と声に出します。この言葉は「すみません○○さんいただきます」を簡略したものだとされます。勿論○○には、ご飯を頂けばご飯が、トマトを食べればトマトが入るわけで、つまりは頂くいのちに謝りつつ感謝の心を述べたもの、もっと言えば三度三度の食事の度に命と向き合う営みがあったと理解したいものです。 この命に真摯に向き合いお悟りといわれる境地にたどり着かれたのがお釈迦様ですが、やはりこの命をどう捉えるか、その気付きの心に力点がおかれます。命の繋がり、たった一つの命、一度だけ、また限りある命、そして自分以外の命も同じ命を生きている以上お互いをお互いが大切にしよう、仏教は生き方の教えだということが理解頂けるものと思います。 一方道元禅師様のご著書「典座教訓」「赴粥飯法」は、調理や食べ方の作法が事細かに著されますが、実は目的はそれだけではなく「大事な事は全てお台所で学べる」というように、食材や料理する人、また給仕する人、そして一緒に食べる人、それぞれに思いやりの心を持ち、感謝の心を育てる大切な修行として考える事が大切なのだとお伝えになっているものでしょう。 仏教では、食事は動物や植物の生命を頂くことだと考えます。食物の中に「こころ」を見れば食物も私達の食べ方を見ていると言われます。食べ方が正しければ、食物は私達の生命を健康に育ててくれますし、正しくなければ私たちを病という形で傷つけもします。 『唯摩経』というお経の中に「食事を正しく行なうなら、すべての行動も正しい」とあります。「お腹がすいたからただ食べる」という食事から「生かしあっている命を保つ為に頂く」、仏教の視点で食育を真剣に考える時期が確かに来ている、自覚を新たにした講習会でした。 |