九日、餅観音の愛称で知られる夏の祭礼がありました。

仙林寺如意輪観音祭礼−お話より−
 先日、子供さんの坐禅の指導をする機会がありました。坐禅も一通り終わり、「何か質問は」との問いかけに次のような質問がありました。「仏様に物をあげても食べてもくれないし、有難うも言ってくれない。一体何のためにあげるのでしょうか」
 本日ご参集の皆様は信仰心あふれる方々ですから、あまり疑問にも感じないでむしろ当たり前のこと、習慣としてそのようにしてきた事なのでしょうが、子供さんの目から見ると不思議でたまらないようでした。
 私たちは普段の生活の中で「最近如何ですか」と言えば「お陰さまで」と挨拶しております。このおかげさまという言葉は、上のと下のさまは“お釈迦さま”というのと同じ敬語で、かげというのは見えない存在、、つまり御霊など計り知れないご縁を言うものと思います。
 また最近ではあまり見られなくなりましたが、以前は「陰膳」という習慣もありました。家族が旅に出たときに、旅先でひもじい思いをしないように、その人が家に居るときと同じようにお膳を供えました。昔の人は、このように見えない存在のみならず、生きている人に対しても同じ心を供えたものでした。
 さて、本日は観音さまのお祭りですが皆様の目の前に並ぶご馳走はお役に当たった方々の真心こもるお供えです。観音さまはお釈迦さまとは違いお観音さまとはあまり言いません。私たちにより身近な仏さまは、遠く手の届かないところではなくすぐ近くに居てくださいます。もっと言えば、皆様のお隣に居る方、前に坐っている方が本当はみんな観音さまというのが正解なのです。
 そのように考えますと、ご馳走を作る方はお陰様にお供えするこころ真心で料理させていただく、頂く皆様もまたお陰様のこころとして有難く頂く気持ちが大切ではないでしょうか。
 ただ食べるだけでは動物と同じです。勿体無くも大切な命を頂く心もまたお陰様の心に通じるものと思います。