先月お知らせした観音堂改修工事もようやく終了、真新しい腰板には柿渋を施し(裕好さん手作業)、古色仕上げとなりました。従来より本堂との間隔が狭く、通行にご不便をお掛けしておりましたが、回廊の角を落とし短くする事で、三尺の通路を確保しました。改修の最中、「場所を変えて新築すれば良いのに」とのご意見も頂きましたが、一部解体の進む中、棟札や古い柱に書き記された篤志の方々のお名前、そして材料不足を補うべく工夫を重ねた職人さんの苦労の跡などを見るにつけ、修復して良かったと改めて感慨を深めました。また、長くご本堂の室中にてお休み頂いておりましたご本尊如意輪観音様≠烽謔、やくご遷座頂き、裕好さんには正式に堂守(どうもり)として観音様をお守り頂く事となりました。
さて、観音様の救いの手は対象者を限定するものではありません。ただ私達の心の内はすべてお見通しです。心を開放して頂ける方に観音堂も開放致します。様々なボランティア活動の舞台として活用してみませんか。華道、茶道、書道など観音様のお膝元でご縁の輪を広げてみてはどいかがでしょう。気軽にご相談下さい。問い合わせ待ちしております。
〜観音堂の修復終わる〜 【大越裕好】
9月中旬から始まった観音堂の修復に私もチョットお手伝い。
驚いたのは、長年の風雪に耐えて来た観音堂の骨組にたくましさが残っていた事ですが、昭和8年の建造ですから、あちこちに多少の傷みが出るのは当たり前といえば当たり前です。
修復作業を見ていた私もじっとしてはいられず、会津柿渋販売福島総代理店のご指導を受けて・・外壁等の[柿渋]塗りに挑戦させて頂きました。
最初は観音堂野地板のところをと軽く考えて始めましたが、一箇所が綺麗になると他の所が気になり、結局手の届く所全部に挑戦する事となりました。
これまで多くの人を見守って来てくれた建材の汚れを、亀の子タワシで落とし、雑巾をかけ、仕上げには[柿渋]をそっと木目に乗せただけですが、しかし、古ければ古い所ほど(適当に)重厚さが出ると、あそこもここも手が伸びて、時間が過ぎるのも忘れ、塗り残しは無いかとひたすら木に向かうこととなりました。
「時間が経てば経つほど良い色になるよ」との言葉に、自己満足しながらの作業でした。まだ時間はあまり経っていませんが、今では程よい色になって来ているから本当に不思議です。塗られた木肌は時間と共に渋い顔になってきましたが、よほど渋かったのでしょう。渋柿も干し柿にして太陽の光を浴びると甘くなり食べられますが、今では渋い中にも少し甘い顔になって来た様に感じられます。
恐るべし渋柿、たかが柿渋、されど柿渋。先人が生み出した智恵にただただ敬服するばかりです。
今の観音堂は生き生きとした中にも、大変味のある個性的な良い顔になりました。
如意輪観音様も25日に遷座し、これからは雨の日でもはらはらする事も無く、今まで以上に慈悲の心で穏やかに微笑んで見守って下さる事と思います。
修復を終えた観音堂を見るたび、私は建材を磨いたのではなく、[新しい物ばかりではなく、古い物でも磨けばまた別の美しさがある(出る)]と言う自分の感覚を磨いていたのかも知れません。

広くなった通路(墓地側より)

(本堂側より)

歩きやすく整備された通路