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| 1月4日 新春坐禅会 〜ご挨拶より〜 法句経に次のようにあります。“すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から 成り立っている、汚れた心でものを言いまた身で行うと、苦しみがその人に従うのは、ちょうど牽く牛に車が従うようなものである”。お釈迦様のお言葉に最も近いとされるお経にも、全ての物事は心次第、人の心のあり方こそが大切だとされております。 ところで、仏教の心理学を「唯識」では、心の奥底、意識下に未那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)を想定し、起こりうる事象は全てがこの識の中に内在し、外的な要因は存在しないとしております。因みにこの唯識学を主とする宗派を法隆寺、薬師寺などが属する法相宗です。 さて、仏教の教えを一言で語るとき、また心を清める考えを何よりも重視する言葉に『七仏通戒の偈』があります。「諸悪莫作、修善奉行、自浄其意、是諸仏教」悪い事はしない、良い事をすすんでするという考えは、智慧による判断が無ければ出来ない事でしょう。智慧により修善をなし、心が調えられ平常心となる。清浄な心であれば姿かたちも自然に清浄なものとして表れてくるものと思います。そして智慧による心を持つ人は他人の喜びや悲しみをそのまま受け入れることとなります。その受け入れる心が慈悲行という実践に結びつく、もっと言えば結びつかなければそれこそ絵に描いた餅という事になるものでしょう。つまり他人への親切心、優しい言葉掛け、他人との助け合い、喜び悲しみを共にする共生きの生活という実践が是諸仏教という事になります。 お正月は、天体の運行と暦によって一年の始まりとされます。また稲作文化との結びつきも深く、ご先祖様が田の神となりそのよりしろよりしろとして松があるところから暮れの十三日に松迎えをし、お迎えする神様をミタマサマ、お供えをミタマメシと言う様に、ご先祖様や神様、そして自然に対して心から捧げる捧げる ここで、先の他人 自然という大きな懐に甘え続けてきた私たちですが、そろそろ自然さまもその無言の説法で語り始めているような気がします。甘えからの脱皮を自立と言うのでしょうが、共に |